2020-12-01 第203回国会 参議院 財政金融委員会 第4号
○国務大臣(麻生太郎君) これはもう上田先生御指摘のとおりでして、今言われたようなものはやっぱり、そうですね、一九八九年の十二月に株価が三万八千九百十五円付けて、翌一九九〇年代から次第に落ち始め、赤字公債の再発行を始めたのが九二年、そして、御存じのようにアジア通貨危機が九七年で、北海道拓殖銀行倒産、三洋証券、山一証券倒産、翌年には、そうですね、長期信用銀行なんてのも倒産して、ばたばた金融というものが
○国務大臣(麻生太郎君) これはもう上田先生御指摘のとおりでして、今言われたようなものはやっぱり、そうですね、一九八九年の十二月に株価が三万八千九百十五円付けて、翌一九九〇年代から次第に落ち始め、赤字公債の再発行を始めたのが九二年、そして、御存じのようにアジア通貨危機が九七年で、北海道拓殖銀行倒産、三洋証券、山一証券倒産、翌年には、そうですね、長期信用銀行なんてのも倒産して、ばたばた金融というものが
ということになっておりましたので、私どもとしては、銀行はその前の段階から、住専の話とか九七年のアジア通貨危機とか、いろんな形で金融関係というものはこの十、二十年間ぐらいの間でかなりいろんな意味でぎくしゃくしている時代、そこにもう一つリーマンというのが来たものですから、いろんな事態が起きて、まあそれまでにも随分、銀行がいろいろ統合されていったり、なくなってみたり、九七年のときは銀行が長銀を始め随分倒産もしておりますから、北海道拓殖銀行倒産等々
○麻生国務大臣 御記憶かと思いますけれども、これは金融庁が発足した当時のことから思い出してもらわないかぬのですけれども、あのときは、銀行の内容に多々問題があって、徹底して、金融というのは内容がやばい、不良資産がいろいろあるというのがわんわん出てきたときでして、そして、九七年に北海道拓殖銀行倒産、山一証券、三洋証券が続いて倒産、翌年、日本長期信用銀行倒産、日本債券銀行倒産。
この年は、御存じのように、アジアに限らず日本でも、都市銀行で、北海道拓殖銀行倒産、山一倒産、三洋証券倒産。明けて九八年、長銀が倒産しましたし、それからもう一個ありました。不動産銀行ですかね、これがたしか倒産したんだと……(発言する者あり)ああ、債権信用銀行。ああいうのも倒産しましたし。 もうあのころから日本の都市銀行でも、昔の名前で出ていますという銀行は幾つ残りましたかね。
御存じのように、日本の場合は、山一証券倒産、北海道拓殖銀行倒産、それから、どこがいきましたっけね、三洋が倒れたんですかね、あのとき。
伸びるか伸びないかというのをよく見きわめるというのは、転勤もなく地元に一番定着している金融機関、これは何と言ったって中小の地方金融機関ですから、そこが一番幅広く、よく企業を見ているはずだし、深くもつき合っているはずだから、そこらの人たちがもう少し考え方を変えてということを少なくともやらない限りは、処分庁のイメージは、やはり九七年の、アジア通貨危機という名前で言われていますけれども、多くの都市銀行、北海道拓殖銀行倒産